デザイン等。

主にデジタルメディアのデザイン等について書きます。

2011-12-12

こまどりとブランディング

ちょっと脱線します。

クリスマスが近いので、クリスマスギフト用の広告をあちこちのウェブサイトで見かけるようになりました。

今時はどこの会社もブランドも、それぞれCI(コーポレート アイデンティティ)やBI(ブランド アイデンティティ)システム(計画)というものを持っていて、様々なメディアでロゴや色を統一して、「ブランド感」というものを表現(ブランディング)しています。
「ブランド」というものは、論理的で一貫したポリシーを、ブレずに継続して使用し続けることによって、徐々に受け手に認知され、浸透していくものです。
そのCI/BIのうち「色」というものが果たす役割はとても大きいです。

たとえばアクセサリーブランドとして有名なティファニーは、今では街角であのブルーの紙袋を見るだけで「ああ、ティファニーで買い物をしたのだな」ということが想起されます。

非常に特徴的で印象的な色です。とてもエモーショナルだなあ、と思います。

このティファニーブルーは「こまどり(こまつぐみ)」の卵の色をモチーフにしているらしいです。
こんな鮮やかな鳥の卵があるの?と検索してみたところ、本当にまるでトルコ石のような鮮やかな色の卵で驚きました。
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DDima [CC-BY-SA-1.0 (www.creativecommons.org/licenses/by-sa/1.0)], via Wikimedia Commons

この色は「ティファニー・ブルー」として色自体が商標登録されています。ちなみに16進数で表すと「#81D8D0」になるようです。
Tiffany Blue

なぜこまどりがBIカラーに使われたのかというと、このような経緯があったとのことです。
ブランドのシンボル、魅惑的な青にまつわるストーリー ティファニーブルーになったわけ

ヴィクトリア朝のイギリスでは、土地や資産を記録する重要な台帳の表紙に、こまどりの卵の青がよく使われていたといいます。この青は、大切なものを表す色だったのです。また古くから青は、真実や高潔さのシンボルでもありました。そこでブランド創設者のチャールズ・ルイス・ティファニーは、この青を自社製品に添えることを決意。「ティファニーの品々はどれも気高くあらねばならない」という彼の信念に、こまどりの卵の色はぴったりだったのです。

また、ブランドサイトの中では、ブランドの歴史についての様々な逸話が紹介されています。
The Tiffany Story

「ティファニーには、どんなにお金を出されても決して売らないものが1つある。…ただし顧客が商品を買うと無償で提供される。それは、ティファニーの名が冠された箱である。責任を持って製造された製品が中に納められていない限り、その箱をお店から持ち出してはならないという創設以来の厳しいルールが、貫かれているからなのだ。」

色ひとつとっても、こういうった逸話、物語を纏わせることによって、よりブランドのコンセプトに深みと厚みを持たせることになりますね。
色空間には限りがあり、メディアによって発色が違うため、一目でそのブランドを表す色というものを設定し、共有し、継続して使い続けるということは、実は非常に困難がつきものなのですが、一方でクリエイターにとっては、非常にやりがいのある仕事だと感じています。

エモーショナルなだけでなく、そこにしっかりとしたコンセプトと、継続するブランドというものがあることによって、成功しているデザインの一例としてあげてみました。

2011-11-24

デザインのエモーションとロジックについて

すばらしいデザインに共通の要素

前回「デザインとはエモーショナルでロジカルなもの」ということを書きました。
デザインをどういった物差しで測るかについては、実は専門家の間でも統一された見解があるわけではないです。しかし古今東西「すばらしいデザインだ」と言われるものには、ある共通の要素があると思われます。

私がそれを言葉で表すとしたら「エモーション」と「ロジック」です。

「ロジック」とはなにか

デザインに対してあまり得意ではないと思っている人たちでも、ロジック=論理については抵抗なく理解してもらえると思います。ターゲットがこういう人で、そういった人にはこういう表現が受け入れられやすい、というようなことは数字で測ることができるし、効果を測定することが難しくはないです。また、色彩や、機能、使いやすさなどは、ある程度体系づけて研究されている分野なので、それが筋の通った論理であれば、なぜそのデザインがそうなったかということに納得がいきやすいです。これらの、目的を果たすためにこういった表現をします、ということを一言で言い表すのが「コンセプト」です。

「エモーション」とはなにか

さて、ある程度デザインの表現型を言葉で説明できるのが「ロジック」だとすると、「エモーション」のほうは一見言葉で説明するのが難しい部分です。多くの「デザインわかんねーよ」という人はおそらくこの「エモーション」の部分を受け取ることが難しい、と意識的にせよ、無意識的にせよ感じているのではないでしょうか。
「エモーショナル」なデザインというのは「論理的であると認識する前に、何らかの感情が喚起される」ものです。

後からよくよく分析してみると、そこには何らかのロジックが隠されているのですが、そういったことを考える以前に「何か」を感じるもの。それは直感と言われるものです。
一目見て、カッコイイとか、かわいいとか、きれいだとか、味があるとか、温かいとか、渋いとか、斬新だとか、そういった印象を受けるもの。それはグラフィックや形状だけにとどまらず、そのものの素材感、質感、大きさ小ささ、色や重量、そして流行や時代など、様々な要因によって決定されます。


余談ですが最近脳の研究では、どうやら生き物には視覚で受け取り大脳で理解し何事かを判断する機能とは別に、視覚で受け取ったものを「中脳」という分野で感じ取り、感情にフィードバックするという回路があるらしいです。それがこの「エモーション」に関係しているかどうかはわかりませんが。

「エモーション」と「ロジック」の関係性

 

 

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この「エモーション」と「ロジック」の関係性をカフェオレに例えてみました。上記の左の図のように、ひとつのカフェカップ(デザイン)の中にエスプレッソ(エモーション)とミルク(ロジック)が注がれていると考えてみてくだい。その量の多寡はデザインとしての良さに比例します。

そして実際のところ、右の図のように、このエスプレッソとミルクは混じり合って飲むことになります。それは「エモーション」と「ロジック」が、分離した存在ではなく、お互いがお互いを相互に補完しあう状態で、不可分のものだということを表します。

50:50でなくて良い

 

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多くのカフェラテがそうなように、この「エスプレッソとミルク」=「エモーションとロジック」は50:50の割合で注ぐ必要はありません。眠気を覚ましたいという人はエスプレッソのショットを追加するように、目的に応じて「エモーション」の部分を多めに入れることもあります。逆に胃が弱いんだよ、なんていう人がミルクを多めにするのと同じく、「ロジック」の部分を多めにすることもあります。それはカフェラテを飲む人が、どういうものを求めているのかによって注文を変えるのと同じく、デザインが必要とされている理由、そして目的によって、柔軟に変化させるものです。
また、一番右のカップのように、「エモーション」と「ロジック」の上に、ホイップのように「ブランド」といったものをトッピングする場合もありますが、本論からはずれるので、そういう場合もあります、と言うことに留めておきます。

売り物にならないカフェラテ

 

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前項で触れたように、目的に応じて「エモーション」と「ロジック」の配合は、柔軟に変える必要がありますが、上の図の場合は「売り物にならないカフェラテ」を作ってしまった、と考えてください。
「エモーション」と「ロジック」は入っているけれど、ショートサイズにも届かない分量しかない、これでは売り物にはできません。デザインとしての完成度に届いていないと言えます。せめてショートサイズ、プロならトールを量産できる力量、そしてグランデを作れるチカラがある人が、いわゆるスターデザイナーです。
真ん中と右のように、「エモーション」はたっぷりある、しかし「ロジック」が一滴も入っていない、またはその逆。これはカフェラテ=デザインではなく、エスプレッソかミルク、つまりデザインではないものです。
「エモーション」ばかりのデザインは「かっこいいけど何が言いたいのかわからない」とか「きれいだけど使いづらい」とか、そういった評価をされます。「ロジック」ばかりのデザインは「理屈はわかったけどかっこよくないね」とか「説明的すぎて驚きがない」とか、そういった評価をされます。
売り物にならないカフェラテ、それは「デザイン」ではないです。
少なくとも私はそう思っています。

次は具体的に「エモーショナル」なデザインてどんなの?ということについて書きたいと思います。

2011-11-20

新しいことは面白い、ということ

新しいことは面白い

新しい技術は断然面白いです。今までなかったもの、やれなかったことができるようになることには、抗いがたい魅力があります。Webサイトも最初はテキストしか使えなかったのに、テーブルレイアウトでなんかカッコいいデザインみたいなものができるようになった!ということでデザイン関係の人がどどどっと流入したし、Flashでなんかアニメやゲームみたいなものができるぞ!ってなったらどどどっと映像やゲームの関係の人が流入したし。エトセトラ。いままでできなかったことができるようになると、それは単純に面白いし、人も集まるし、お金にもなります。

新しいことの細かいとこはもっと面白い

新しい技術の細部についてはもっと面白いです。CSS3とかjQueryとか、面白いからみんながどんどんやります。ソーシャルメディアのおかげで、みんながみんなと気軽にやり取りできるようになったので、自分はこれのこんなところ知ってる!とかこれをこうしたらもっと良くなるんじゃない?みたいなことを毎日毎日寝食を忘れて没頭したりしています。本もRSSSNSも勉強会もいっぱいチェックして、いろいろなテクニックを生み出します。いろんな人がワイワイやって、時代は◯◯!みたいな特集が雑誌で組まれたりして大いに賑わいます。

祭りの終わり

そして祭りは終わります。大抵終わります。

最近のFlash vs HTML5みたいな祭りもそのひとつです。

パソコン通信は終わりました。CD-ROMは終わりました。Directorは終わりました。マルチメディアは終わりました。Netscapeは終わりました。テーブルレイアウトは終わりました。LiveMotionとか覚えてる人いますか?SecondLifeは始まる前に終わったし…ガラケーもほぼ終わりそうで、FlashもRIAやAIRが細々残るだけでしょう。

5年くらい前までは、このデジタルメディア業界にいたけど、やめて別の仕事を始めた人もいっぱいいます。(それは終わりではないけれど)

みんなすっかり忘れて次の祭りを始めます。

そういうお祭りに参加しない態度は、この業界で生きていく以上は難しいし、なにしろ楽しいので、まあどんどん乗っかればいいと思います。

ただいつかは終わります。新しい祭りが始まります。その時に、前の祭りがどんなに面白かったとしても、もうお神輿は別の方角へ向かってつきすすんでしまっています。呼び戻すことは難しいのです。

そしてあんまり次から次へと新しいものに飛びついていると、減ります。自分の中の何かが磨り減ります。目が回るようです。

根っからその目が回るような状況を疲れもせず楽しむことが出来る人は良いのですが、残念ながら私は若さも体力が無いのでいい加減無理だな、と、長い間やってきて悟りました。

Designは残ります

しかしお金を稼がないとご飯が食べられないし、気がついたらこの仕事以外に出来る仕事もやりたい仕事も無いので抜けだすこともできません。ということで私はどんなに次々と新しくて面白いことが起きて、そして終わっていっても、すり減らないようなことだけを学ぼうと思いました。すり減らない、というより普遍的なこと、と言ったほうがいいかもしれません。

そう、どんなに担ぐ神輿が変わったとしても、Designは残ります。Designさえ持っていれば新しい神輿にも柔軟に対応できます。

たとえWebがなくなったとしても、人々が社会を営む以上、Designはどの場面でも必要なものです。Designは私達の生活の質をより豊かにしてくれるものです。

Designとはエモーショナルで、ロジカルなものです。これがあると人と人がコミュニケーションを取ることに、おおいに役立ちます。それがDesignのチカラです。

 

次は「Designとはエモーショナルで、ロジカルなもの」 について書きたいと思います。

2011-11-20

これがデザインです!

デザインという言葉

最初のエントリは「良いデザインと悪いデザイン」について書こうかと思っていたんですが、いやまてよ、そもそも「デザイン」ってなんだよ、と思ったので「デザインってなんだろう」ということを書くことにしました。
そもそもカタカナで書かれていることからもわかるとおり「デザイン」という言葉は外来語です。多分外国では産業革命以後に認知された言葉です。そして日本に入ってきたのは明治以降だと思います。ここらへんの詳しい歴史の話はデザイン史の教科書でも読んでください。
最初日本でデザインという言葉は他の外来語の様に日本語が当てられたそうです。「意匠」とか「図案」とか「工芸」とか「設計」とか。東京藝術大学のデザイン科は最初は「図案科」だったっけな?
ただ現代の私達からすると、私達がなんとなく「これがデザインだ」というものと、意匠や図案と言ったものは一緒のような気がしません。結局日本語で「デザイン」は「デザイン」のまま、曖昧な概念として定着してしまいました。

それデザインなの?

今では人々が考える「デザイン」の定義は拡大の一途をたどっています。
よく話題にのぼるのは「グッドデザイン賞」。AKB48というグループが受賞したりして、え、それってデザインなの?といろんな人が思ったことでしょう。

私は割りとデザインをストイックに考える方なので、「グッドデザイン賞」という賞の中でAKB48を取り上げることに対してあまり肯定的ではありませんが、AKB48を「デザイン」に含めよう、と考えることについては理由がわからないでもないです。

過程こそデザイン

プリミティブに考えた狭義の意味でのデザイン、例えば広告や工業製品のデザインも、そこには、手にとって見えるものが存在します。
しかしデザイナーは一見そういったモノを作っているように見えて、実は「作っている過程」を作っているのです。ややこしい言い方になりましたが。
おそらくどんなデザイナーも、0から1を作り出す時に、
0+1=1
の作業をしているのではなく、
0+5-3+8-1×2-4-3=1
みたいな過程を踏んでいるのだと思います。
その「0+5-3+8-1×2-4-3」の過程こそが「デザイン」である、と意識的にせよ無意識的にせよ持っている心情かもしれません。

難しくなっちゃうから

ただ、私個人は、作り手が「これもデザインであるからデザインをしよう」と過程について真剣に完成度を求めることは必要だけども、受け手に対してそれを受け入れさせるべきとはあまり思わないです。
ただでさえ曖昧な概念である「デザイン」を、あれもデザイン、これもデザイン、とラベリングしていくことは、受け手に「これってデザインなの?」と混乱させてしまい、デザインの意味合いがどんどん混沌として、強い言葉で「これがデザインです!」と言い切れることができなくなってしまうのでは、と考えます。「グッドデザイン賞」というあたかもプリミティブな意味でのデザインのように聞こえる賞に、そういう混沌としたものを入れるのはどうなの?と、ちょっと懐疑的です。「グッドデザイン賞」についてはいろいろ賛否両論があるのでまたの機会に。

デザインはみんながやっていること

しかしながら。

私は実のところ大した「デザイン教育」というものを受けていないので、常に「これがデザインだ!」と断言することに対して後ろめたさを持って来ました。誰も正解を教えてはくれないし、いろんなデザイン界の偉い人の話を聞いてみても「これがデザインだよ」と言うことはみんなバラバラです。

だから最近はああそうか、作り手と受け手の数だけ「デザイン」はあるのかもしれないな、と思うようになってきました。

デザインはデザイナーがするもの、と狭義の意味では思われていますが、皆さんがしている様々な分野の「0+5-3+8-1×2-4-3」の過程もデザインと言えると思います。
なんだかよくわからないもの、自分にはセンスが、才能がないから、とデザインについて語ることをタブーのように扱わずに、新たな気づきを得るために「自分のやっていることはデザインである」と考えてみてはいかがでしょうか。

2011-11-17

おれ、はてなブログが使えるようになったら、デザインに関するブログ書くんだ……

招待というものをされないような人付き合いをしているので、はてなブログが使えるようになるのはまだまだ先…と思って「おれ、はてなブログが使えるようになったら、デザインに関するブログ書くんだ……」と死亡フラグを立てていたら、何かの巡り合わせのようにはてなブログ開発ブログの500人招待枠に入れてしまったので、不遜なサブドメイン(design.hateblo.jp)を取得してしまいました。

雑誌にバシバシ載ったり、テレビが特集組んだり、単著が出せたりするようなスーパーデザイナーではないですが、12年デジタルメディアのデザイン界隈で仕事をしてきた中で、感じたこと、考えたことが書けるといいなと思っています。

ただし、このブログは id:wacok (@wacott)個人としての見解であり、会社としての正式な発言、回答ではないこと、また、特定の企業、団体、個人に言及するものではないということをご了承ください。